PROFILE

会社概要

創業    2011年4月
代表者   代表CEO 小川浩一
      取締役 小川由起
事務所   東京事務所 東京都中央区銀座7丁目15-8-204
TEL: 03-6228-4127
URL     www.minakuchiya.com
Email   ogawa-denbei@minakuchiya.com
取引銀行  三井住友銀行 日吉支店
三菱東京UFJ銀行 日吉支店

事業内容
1、REZAYAT GROUP関係業務
2、投資事業、アジア、日本国内外の投資及びコンサルタント業務
3、不動産賃貸、管理、運営事業
4、ゴルフ関係用具、衣類品の企画、デザイン、販売業務。

history株式会社 水口屋の歴史

今から450年前山城国胯喜郡玉水村の郷士小川傳右衛門の3男として生まれた(慶安2年生)初代小川傳兵衛(政央)は、近江国甲賀郡水口村で荒物、小物を商い、元禄10年(1697)尾張に移り、正徳2年(1712年)玉屋町に店を構え小間物、呉服の小売店を業としました。
元禄、享保期の約40年は努力むなしく経営は苦しく、初代は悪戦苦闘の一生であったと言われています。
2代目小川傳兵衛は従来の掛け売りを改め、現金売り商法に移行、これが成功を収め水口屋発展の基礎となりました。
3代小川傳兵衛(尚甫)は元文01年(1736年)、京都に仕入店を開設、尾張藩に対する調達金の献上もこのころに開始されました。
4代小川傳兵衛(雅宣)は、天明4年(1791年)尾張藩、町代役に任じられ尾張藩御用商人としての地位を固めた。5代小川傳兵衛(雅宣)は寛政7年(1795年)に創設された尾張藩御勝手御用人制度の下、松坂屋伊藤家、関戸家、とともに、尾張藩御勝手御用商人に任ぜられ尾張3人衆と言われ栄華を極めました。
寛政に入ると京都六角富ノ小路に京都支店を、東京日本橋にも東京店を開設、呉服商として地位を固めるとともに、新田開発他の新たな事業に業務を拡大することになります。
現在の小川新田もこの時代に開墾が開始されます。
5代雅宣の隠居を受けて後を継いだ6代雅慶、7代雅楽が5代在命中に死去、8代雅達、9代雅共と早世、10代として跡を継いだ英栄が店を任されるも、事業があまりに広範囲に広がり、多角化する中で、跡継ぎの早世と不運がかさなり、尾張藩の財政頻拍のため、文政2年尾張藩は借財棒引き、農商の借財は無利息50年賦返済が発布されました。
水口屋の調達金は6万833両の多額に達しており水口屋経営の資金繰りに大きな負のインパクトを与え、文化6年呉服屋水口屋廃業に進むことになりました。
英栄も若く、これを支えるため雅宣の妻の実家である岡谷家から二男考蔵が後継人として水口屋に入り廃業、新田経営と明治初めの混乱期に岡谷家を主体にして親戚縁者の絶大なる支援を受けて明治の混乱期を乗り切り、明治、大正、昭和と30町に及ぶ新田経営を業とすることになりました。
第二次世界大戦後の農地解放令により、小作に農地を解放、11代小川傳兵衛(雅致)は名古屋市千種区に隠庵を構え茶道、和歌の世界に生きることになりました。
伊勢湾台風他、小川新田は戦後も水害に見舞われ、11代小川傳兵衛はその復興に尽力しました。
現在も小川新田発祥の土地、名古屋市港区小川町(旧小川新田)に設けられた小川神社には毎年夏の祭り、新年のお供えを水口屋小川家で奉納しております。
11代傳兵衛は子供に恵まれず、妻である悦の実家、岡谷家惣領で悦の弟にあたる10代岡谷惣介の第3子岡谷和彦を養子に迎え、12代小川傳兵衛(小川和彦)としました。
12代小川傳兵衛は、京都大学に学び、粉末冶金の改革者として日本の粉末冶金産業の発展に寄与したが、道半ば若くして病に倒れ、闘病生活ののち昭和57年死去。現13代小川傳兵衛(小川浩一)は、住友商事に務めた商社マンとしての経験を生かし、新たな商売の展開と、水口屋小川家の管理を目的に、株式会社水口屋を平成23年株式会社化し今日に至っています。
小川傳兵衛水口屋、および小川新田に関する諸資料は11代小川傳兵衛の時代に名古屋市鶴舞図書館に寄贈されております。

新修 名古屋市史   名古屋市
師崎屋諸事記     高松家
別冊大洋 豪商百人  (株)平凡社
水口屋 小川傳兵衛  日置弥三郎 名古屋商人史

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